SF/評論研究会 6/27 レジュメ『物語の哲学』 藤田直哉

第六章 時は流れない、それは積み重なる
1、知覚的現在と想起的過去
・ 時間は流れではない、空間的な比喩ではいけない。
・ 時間には「幅」があり、それが「時間」と「歴史」を縫い合わせる。
フッサール「過去把持−原印象−未来予持」(知覚的現在に含みこまれている)
・ 「過去把持」=「第一次想起」 「再想起」=「第二次想起」
2、非連続の連続
・ 「知覚」と「想起」の非連続性
・ 歴史的時間と体験的時間が滑らかに連続しているために、「体験的過去」と「歴史的過去」とをともに「出来事の連鎖」として捉える必要がある。
・ 「出来事」には幅がある
・ 図柄が描かれているガラス板が積み重なるイメージ
・ 出来事の構造と連関こそ歴史家の関心事
・ 通時的整合性と共時的整合性を基準にして合理的に理解可能な過去を構成→これを「実在性」と考える
・ 過去把持の連続性に基づく「現象学的時間」ではなく、重層的に堆積した「解釈学的時間」
 3、八分半前の太陽
・ 太陽は八分半前に光を発しているのに、それを知覚している「今」とのパラドックス、過去が今現在に露出している
・ 「本物」と「像」の導入ではだめ。「像の牢獄」になる。大森荘蔵の「実物」でもだめ。「過去の牢獄」になる。
中島義道「『いま』は伸縮可能」しかし副詞的用法と名詞的用法を混同している
 4、物語り文と重ね書き
・ 「いま」と「八分半前」を切り離す
・ 「物語り文」の導入。ダントー「二つの別個の時間的に離れた出来事E1およびE2を指示し、そして指示されたもののうち、より初期の出来事を記述する」
・ 物語り文は「事後的」「回顧的」性格を持つ
・ 二つの時間的に離れた出来事の間には意味のネットワークがある
・ 「八分半前の太陽」は物理学理論で知っている。理論的構成体であるが、実在しないことやフィクションではない。
・ 時間的に隔たった二つの出来事を「物語り文」を通じて重ね描いている
・ 物語り文は「歴史的重ね描き」の装置である
 5、歴史的過去と死者の声
・ 歴史的過去も広義の「理論的出来事」
・ 歴史的過去に埋没した死者の声を掘り起こして知覚的現在に伝達する「精神のリレー」を可能にするのは語り手と聞き手の批判的共同作業である「物語り行為」
・ 歴史とはもはや聞こえなくなった「死者の声」を聞き取る能動的探求、不断の辛苦

第七章 物語り行為による世界制作
  はじめに
・ 物語り概念は「実体概念」(語られたもの、物語)と「機能概念」(語る行為または実践)として用いられている。前者を「物語」後者を「物語り」と呼ぶ。ここでは後者を扱う。
・ 「物語り」は経験を時間的に分節する言語行為であるとともに、存立構造を解明する一つの分析装置でもある。
・ 「物語り」には「真/偽」「良い/悪い」「事実/フィクション」はなく「優/劣」がある
  1、物語り論の系譜
・ 1968年のカーモード「歴史哲学は小説を教える人たちの仕事」
・ 1960後半〜70前半に歴史哲学の中に一定の地歩を占める
・ 「五月革命」 マルクス主義の退潮と構造主義の台頭という時代の中
・ バルトとストロース『野生の思考』
サルトルの『弁証法的理性批判』に対して、歴史的事実が「構成」「選択」されるものである。(『野生の思考』)
・ ドイツにおいてはドロイゼンの『歴史理論』 ダントー『歴史の分析哲学』 ダントーハーバーマス→バウムガルドナー
アメリカ 論理実証主義と物語り論 「統一科学」 歴史を生理現象や物理・化学的現象にまで還元→無理だろう
・ ヘンペル流の科学哲学からクーン流のそれへ
  2、物語り論の基本構造
・ 世界は事物ではなく出来事の集まり
・ 「視点」と「文脈」を与えるもの
・ 偶然的なものを因果関係により関係了解することによって受容可能な経験になる
・ 「経験の可能的性の条件」=「超越論的機能」(アプリオリとアポステリオリは相互に影響するという前提で)
  3、物語の内部と外部
・ 経験が物語りの内部でしか可能でないとすると、物語り自閉症になるのではないか?
・ 「ロウ・ナラティヴィスト」(外部がある)「ハイ・ナラティヴィスト」(外部がない)
・ カー 物語りの外部に「生きられた経験」
・ ロウ・ナラティヴィストは「過去自体」の実体化にはならない。求めているのは「実在への対照なき真実」あるいは「保証された主張可能性」「合理的受容可能性」
・ 外部とは「物語りえないもの」=「直接的経験」「異他的なるもの」「偶然的なもの」「理解不可能なもの」 パラダイム論の「変則事例」
・ 物語りの限界が世界の限界である
  4、物語りと人称的科学
・ ストーリーは記述、プロットは説明
・ 科学的説明は物語り的説明の特殊ケース
・ 科学的説明は直線、物語り的説明は曲線、人間科学は円錐曲線
・ 自然科学は「リアリティ」(もの、非人称性)人間科学は「アクチュアリティ」(行為、行動、人称性)
・ 人称的科学はなぜに答える。「誰が誰に向かって何を語るか」という発話のポジショナリティが問題になる。相互作用が物語り的説明を支える不可欠のファクター